<デリヘル情報>積極的に女の子を攻めるブログ:15年09月10日
平成11年3月、
実家のパパからぼくの携帯の留守番電話サービスに
メッセージが残されていた。
「お母ちゃんが病気です。すぐ連絡下さい。」
2日後には
大阪ドーム近くの病院の母の病室にぼくは居た。
ぼくが着くなり、主治医から「大腸がんです」と告げられた。
ぼくは仕事を休み、パパと一緒に日々見舞いに行った。
パパは、「なぁに、大したことないやろ。大丈夫や。大丈夫。」と、
ぼくに聞かせるでもなく、自身に何度もそう言い聞かせていた。
一週間後、患部の切除手術が行われた。
関西に住む親戚はみんな集まっていた。
3時間がとても長く、冷たく感じられた。
「幸いにも転移が見られません。もう大丈夫と思われます。」
という主治医の宣言に顔をくしゃくしゃにして喜ぶパパの顔。
そんな顔で喜ぶところを見たことがないので今も記憶に生々しい。
そのパパも75歳になった平成17年9月に大腸がんで倒れた。
長い間の看病疲れがたたり、母も同時に入院することになってしまった。
平成14年11月から実家に戻って、
ショッピングなど手伝っていたぼくに、
一気に世話の負担が圧し掛かってきた。
母が倒れてから11年…
共にがん病巣を体質に抱えながら、夫婦で声掛け合って、
そして最大限労わり合って
今日までなんとか3人無事に生きながらえている。
主治医も不思議がっていたのは、
パパがレベル4の末期の肝臓がんであるのに、
みぞおちを押さえても少しも痛がらない事だ。
そういえば、2人とも抗がん剤や放射線治療は一度も受けていない。
否、本人たちが断固として受けるのをずっと拒んでいる。
「気分はどない?」「しんどないか?」
そこには実の息子でさえ入り込めない独特の世界観が確かにある。